南無大師遍照金剛

空海さまが広めた真言密教、仏教をまとめたブログです

無明(むみょう)

無明(むみょう、avidya)とは、仏教用語で、無知のこと。また真理に暗いこと、智慧の光に照らされていない状態をいう。
法性(ほっしょう)に対する言葉である。

この概念は、形而上学的な世界の性質、とりわけ世界について無常(アニッチャ)および無我(アナッター)であることの教義についての無知、
誤解を指す 。それは苦(ドゥッカ)の根源であり、最初の因縁の輪に結びつき、繰り返す転生の始まりとなる。

無明は仏教の教えの中で、様々な文脈での無知・誤解として取り上げられている。

大日経 大日如来様が説く教え

 
 
修行僧時代に「大日経」と巡り合い、この勉強のため唐に渡った。

唐の西安で恵果和尚から真言密教の象徴である曼荼羅・経典・経具を全て受け継ぎ、

「遍照金剛」の法号を得て第八代宗祖となって帰国した。



大日教は、密教のお経で真言宗の根本経典のひとつ

大毘盧遮那成仏神変加持経』(だいびるしゃなじょうぶつじんべんかじきょう)、
略して『大毘盧遮那経』(だいびるしゃなきょう)、あるいは『大日経』(だいにちきょう)は、
大乗仏教における密教経典である。成立時期には諸説あるが、7世紀の中頃が穏当な説である



仏の言(のたま)わく、菩提心を因と為し、大悲を根本と為し、方便を究竟と為す。
秘密主、云何(いかん)が菩提とならば、謂(いわ)く実の如く自心を知るなり。


仏教経典。『大毘盧遮那(だいびるしゃな)成仏神変加持経(じょうぶっしんぺんかじきょう)』の略称。漢訳およびチベット訳だけが現存し、サンスクリット原典は失われている。漢訳は善無畏(ぜんむい)と一行(いちぎょう)の共訳(725)で七巻、36品(ほん)(章)からなる。チベット訳は、インド僧シーレンドラボーディとチベット訳官バンデ・ペルツェクによって、750年から760年の間に七巻、29品に訳されているが、漢訳の「供養(くよう)品」は含まれていない。『大日経』がインドのどこで成立したかについての確答は得られていない。アフガニスタンのカーピシャ(迦畢試国)、中インドのナーランダ、西南インドのラーター(羅荼国)、北インドカシミールなどの諸説がある。また、いつ成立したかについても新古種々の説があり、もっとも古くみる説では500年ごろという説もあるが、やや古きにすぎ、7世紀の中ごろとみる説がもっとも難がない。
 7世紀以後の、独立した性格を有するに至った密教を、中国・日本の密教家が「純密(じゅんみつ)」と称し、それ以前に成立した密教を「雑密(ぞうみつ)」と区別する。この純密、すなわち正純なる密教の重要なる経典の一つが『大日経』である。『大日経』は真言(しんごん)宗の三部秘経の一つとされ、『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』とあわせて「両部の大経」といわれる。『大日経』の展開する仏の世界は「胎蔵界」というが、これは、この経典の示す世界を図式化した曼荼羅(まんだら)が「蓮華胎蔵生(れんげたいぞうしょう)曼荼羅」とよばれるためである。経の内容は、大毘盧遮那仏大日如来(にょらい))が秘密主の問いに答えて、秘密真言の心と表現(方便)と実践(大悲)とを説いたものであり、経の大部分は実践のための儀式の細則で、これを胎蔵法と称する。[金岡秀友]
[参照項目] | 金剛頂経


曼荼羅】より
… このように曼荼羅は本来壇を中心とする個別の曼荼羅に源を発し,時代とともに離合集散しながらしだいに総合されてきた。そのきわまるところ,7世紀中ごろ,《大日経》が成立し,以後それにもとづく一大総合曼荼羅である胎蔵曼荼羅が描かれ,また7世紀から8世紀初めにかけて《金剛頂経》が作られ,それにもとづいて金剛界曼荼羅が描かれるようになった。密教ではこの時点で確立された大日如来を中心とする密教を純密,それ以前を雑密といって区別している。…

※「大日経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報




仏の言(のたま)わく、菩提心を因と為し、大悲を根本と為し[注釈 2]、方便を究竟と為す。
秘密主、云何(いかん)が菩提とならば、謂(いわ)く実の如く自心を知るなり。


大日如来は言った。

「悟りを求める心(菩提心)を原因として、
大いなるあわれみ(大悲)を根とし、手段(方便)を
究極なものとするのである。」

南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)

メッセージ

     
南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)
2009年9月
幼い子が悲しいとき、苦しいとき、泣き声を上げてすがろうとするのは、母です。私たちが、例えば生命の危機に直面したとき、母に代わってすがるものは何でしょう。
 
そういうとき真言宗では「南無大師遍照金剛」という祈りのことばを、限りなき多くの人達が念じ続けて、不安を乗越えてきました。
 
これは、この世に人がいる限り、そのすべての人々の幸せを守護するという誓いを立ててこの世を去られた、弘法大師さまへの祈りのことばです。そしてこの「南無大師遍照金剛」は、他の人の幸せを願うときの、祈りのことばでもありました。
 
「遍照金剛」は弘法大師さまの潅頂名で、「太陽のごとくすべてを照らす慈悲と、人を幸せにする仏さまの砕けることなき智慧の持ち主」という意味がこめられています。
 
どうぞこの祈りの『お経』を、毎日お唱えして下さい。そして私たち自身の、遍照と金剛の徳も磨かれますように。
 
(良)
南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)
2007年5月

「南無大師遍照金剛」

これは御宝号(ごほうごう)といい、真言宗で唱える一番短い『お経』です。

仏さまの慈悲の光は、すべてのものに及びます。そして、すべてのものに幸せを及ぼそうという智慧(ちえ)の働きは、ダイヤモンド(金剛石)のように堅固で輝きを失いません。これが「遍照金剛」の由来です。

弘法大師さまは、師の恵果(けいか)さまから真言密教の法を受継がれたとき、この「遍照金剛」をお名前の一つとして贈られました。恵果さまはお大師さまを、たぐいまれな仏さまの申し子と見抜かれたのです。

真言宗ではこの御宝号を、どんなときでも唱えます。お寺でも仏壇の前でも、亡くなった人のためにも、幸せを願うときでも...自分がピンチに立ち至ったときはなおさらです。そして、仏さまの誓いを永遠に続けるというお大師さまの誓いを、私たちも自分の誓いとして共に進むこと。本当の幸せは、そこに開かれます。

(壽)

 

 

 

 

メッセージ|高野山真言宗総本山金剛峯寺 高野山東京別院

 

 

から転載させて頂きました。

ありがとうございます。